心の中までは強制できません  教会長
  

 学校の感謝祭では、前日に予行をします。大半が未信奉者で拝礼の仕方すら知らない中学・高校の一年生をはじめ、全校生徒にこんな話をさせてもらいます。
「みんなはほとんどが金光教の信者さんじゃないのに、強制的に金光教の神様を拝まされると思っている人もいるかも知れません。でも、ここでは金光教の儀式
でお祭りをします。なので、拝礼など、作法は合わせてもらいます。これは社会に出ても、このような場面に出会う場合のための勉強だと思ってください。とはいえ、
心の中まで『金光教の神様に対して拝みなさい』ということはできません。だから、正面の天地書附に、仏壇をイメージしてもいいし、十字架を描いてくれてもいい。
宗教を信仰していない人は、普段からお世話になっている人や物を思い浮かべて、感謝の気持ちを持ってください。それが本来の感謝祭です。『やらされている』
『させられている』と思うと、ただただ時間を無駄に過ごすことになってしまいます。心の中まで強制できないことは、先生が一番よくわかっています。だからこそ、
ひとりひとりが意味のある感謝祭にしてもらいたいです。」

 他人の心の中までは、見抜くことはできません。顔でニコニコほほえんで、心の中で「あっかんべ−」ができる人は、なんぼでも世の中にいます。こんなことを書いて
いる自分自身もそんな経験が何度もあります。でも、神様が心の中にいるとしたら……。神様はそんなこと、見抜き見通しされているのでしょうね。

 先月、再びお遍路さんに行かせてもらいました。札所によっては「納経はお参りをすませてから」という注意書きが書かれています。朱印集めが目的で、お参りをせず
に行く人もいるとか…。

 納経所の方もそんなこと、いちいちチェックしているなんてことはないでしょうが、仏様やお大師様の目はごまかせないでしょう(^o^)。


 
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